ねぇの部屋
ねぇの独り言。
勝手なことも言っちゃうと思いますが・・・堪忍な。
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2005年3月29日
流感
寝込んでいます^^;
金曜日に町医者で処方して頂いたお薬が切れたので、今日「ヘルニア」で通院している総合病院で診察をして頂きました。

診断・・・「インフルエンザ(A型)」
えっ!?問診だけで判るんか!?
ま、えぇけどな。
処方薬は商品名が微妙に違うけど、町医者での処方薬と同じお薬(苦笑)。
今度は、きっちり効いてくれよぉおおお(ToT)

インフルエンザは「流感」です。
はい。うつるんです。
・・・ネコにもうつるんかな・・・?
フェレットはうつるし、うつされると聞いていたけど、今、ふぇれいないし(- -;)、問題はネコ達ね。
聞いた事ないけど、念のためマスクしています。

我がで云うのも何やけど・・・うぅ・・・変な顔(- -)
もしも、今、泥棒と鉢合わせでもしたら、どっちもどっちな格好やろぅなぁ(爆)。

って書いてたら、頭がぼ〜〜〜っとしてきたわ(苦笑)。

そうそう。
熱のせいか、やたらと喉が渇くんよね。
お茶とか白湯を飲んでりゃえぇんやろぅけど、そこは飲兵衛な私♪
冷蔵庫には・・・ビールとチューハイしか入っていない(爆)。
はぁあああ、旨いっ!! ← ・・・えぇんか!?私!?
2005年3月26日
風邪の神様〜!
昨日から風邪を引きました。
朝食の後、市販の風邪薬を飲んだら吐いちゃって・・・(- -;)
昼過ぎからは頭がぼ〜〜〜っとしてくるし、帰る頃には喉がいがらっぽいし、電車の中では(寒くて)がたがた震えるし。
これはもう、完璧に「ヤバイっ」と思ったので、帰宅途中でお医者さんに寄ってきました。

「単なる風邪やと思うけど、インフルエンザもまた流行りだしてるからなぁ」
とおっしゃって、インフルエンザのお薬も処方して下さいました。

ヘルニアのお薬が3種類(朝晩2回)。
風邪のお薬が3種類(毎食後)。
インフルエンザのお薬が3種類(朝晩2回)。
従って、朝晩は9種類10コのお薬!!
ひぇえええ。

お薬の量だけを見たら、めっちゃ『病人』(T T)

あぁ、風邪の神様〜!
ちゃっちゃとどっか行ってしもぅてなぁ〜!

しか〜し!
こんな状態な私ですが、今夜の『飲み会』には行っちゃいまっせ♪
だって、楽しみにしてたんやもん^^
呑んでりゃ「ご機嫌」♪
風邪?何それ?って感じやね(爆)
2005年3月14日
TOMMYの災難
今朝の話・・・。
私の朝ご飯用のおにぎりを、いつもは鞄に入れる(事務所で食べるのね♪)のですが、今朝は別の紙袋に入れていました。
紙袋には、瓶詰めのザラメ糖を入れ、ラップでくるんだおにぎりが1つ。

お化粧を終えかけたとき・・・
『ガタン!!』
へっ!?何の音!?

見ると、こたつの上に置いていた鞄と紙袋が無いっ!
あちゃ〜、TOMMYの仕業ね!
と思ったら、こたつの側でTOMMYがパニくっている。
何したん!?どないしたん!?
と側に行ってみると、TOMMYの首に紙袋の持ち手が絡んでいるじゃないのよ!

慌てて外そうとしたのですが、悪いことに紙袋の持ち手だけでなく、その紐に鞄の持ち手までが絡んでるぅううう。
TOMMYの首から外そうにも、苦しがって自力で外そうと後ずさりするし、紐はキチキチになってるしぃいいい(T-T)
こうなったら紙袋の紐を切るしかないわ!
とハサミを手にすると、TOMMYが諦めたのか後ずさりを止めた。すると、あら不思議!?絡んでいる紐に余裕が出来たじゃないの♪
今だっ!!と、TOMMYを保定して、そっと首から外しました。

朝っぱらから全くもぅ・・・(ふぅ)。
私の不注意と、TOMMYの食いしん坊が招いた一騒ぎでした(^ ^ゞ
ま、どっちもどっち、自業自得ね(>_<)
2005年3月12日
アルコール依存症・・・後記
3月1日午後9時。母から電話が有りました。
「今、アルコール依存症のドラマやってるから、あんたも観ぃや 」
そろそろお風呂にしようと思っていたので、少しだけ観て後はビデオ録画しようと思っていたのですが・・・
最後まで観てしまいました^^;

見終わった後、どうしても感想を書きたくて『溺れる人』の公式ページにあった感想・意見を送信出来るフォームに書きだしたのですが、どうしても纏まらず、この「ねぇの部屋」に書く事にしたのです。

しかし、このページは誰でもが見られる一般のホームページ。
個人情報を公開するようなものではないか?
とも思い、念のため両親に許可を取る事にしました。
(@の時は無許可掲載でした^^;)
そして6日、実家に行った際にこの話しをしました。
母はあまりいい顔をしませんでした。その理由は、
「アルコール依存症って云うけど、未だアル中ってイメージが強いやん。偏見を持ってる人が多いんやから・・・」
私は、その偏見を無くす為にも書きたかったのです。もちろん、私を現実に知らない人には特定されにくいように、フィクションを交えながら。
父は躊躇無く、
「ええやん。病院の事、断酒会の事、いっぱい書いたったらええねん」
あはは^^; さすがお父ちゃん。って感じ^^

こうして掲載の許可を取り付け、Upする事が出来たのです。
が、実はまだ書き足りない。
入院生活の事、父の居ない間の母の事、断酒会の事、現在の状況の事。まぁ、それはまたの機会に(まだ続くんかい!・苦笑)

この日(6日)、実家から入院中に父が書いたノートを借りて帰りました。
父の帰阪直後に1度ちらっと見せて貰っただけ(だって、読みにくかったんやもん(- -;))で、ちゃんと目を通した事は無かったのです。

ノートには「内観会」「断酒会」で書いた事や院長先生のお話、断酒会での他の患者さん達の体験談等、メモ程度なのですが、そこには母(妻)への感謝が沢山書かれていました。
年齢を追いながら、若い頃の失敗談、長男(兄)の誕生、孫との楽しみ、今後の楽しみ・・・。
全てに母への感謝の言葉が添えられていました。
読みにくいノートですし、一部「反省してへんやんかー!」とツッコミたくなる部分も有りますが、読み返していると、胸が熱くなります。

これからも父は断酒に挑み続けなければいけません。
しかし、代りに得た事、得る事は沢山有る事でしょう。
両親がいつまでも仲良く、健康で暮らせる事を娘として願わずにはいられません。

そして「人は生きている限り、何度でも生まれ変わる事が出来るんだ」という事を、身を以て教えてくれた父に感謝します。
その父を支え続けている母にも感謝します。
そして、そんな両親を誇りに思います。


※父のノートを一部こっそりUpしました^^;
 よろしかったら「こっそり」覗いてみて下さい。
 『ねぇの部屋・・・おまけ』
2005年3月9日
アルコール依存症D
指宿の指宿竹元病院から大阪の自宅に戻った父は、まるで別人のようでした。
顔色も良く、体調も良く、まるで10歳くらい若返ったようでした。
元気に働いていた頃の父が帰ってきたのです。

そして、長い断酒の道を歩き始めたのです。

大阪での「アルコール依存症」治療の為の病院を探し、地元の断酒会を探し・・・。

あれから5年。
当初、週3回だった通院も、今では週1回の通院と、月1回の血液検査、糖尿外来(栄養指導)、ミーティング(院長先生のお話と、患者達の座談会)だけとなりました。
断酒会は毎週土曜日の夜。徒歩か自転車で通っています。

一番心配していた「同窓会」を初めとする各種宴会の席での飲酒も、自分から「アルコール依存症やから飲まへんねん」と断れるそうです。
自宅では、勿論一切飲みません。
欲しくなったらいけないから、と私も自宅では禁酒状態です^^;
夏の暑い日、小さな缶ビールを台所でこっそり飲む程度です(結局飲んでる私・苦笑)。
更に、味醂もアルコールが入っているから、と自宅の食事では一切使いません。しかも血糖値が高く、初期の糖尿病を患っている為、食事制限も有ります。この為、毎日の食事を作る母にとっては、また新たな苦労が始まってしまいました。ふぅ。
ただ、旅行に行った時だけは、普通に宿で出される食事を取ります。たまには贅沢な食事してもバチ当たらへんやろ、と大目に見ています。

今では、仕事も再開し(道具を一から全て買い直しました^^;)、お酒を飲まない以外は、全く元通りの生活を送っています。
ごはんも普通に炊いたごはんを「美味しい」と云ってぺろっと平らげてしまいます。母曰く「毎日、何とか食べさせようと、お粥にしたり色々苦労して作っていたのに、何やったんやろう!?」今では「食べ過ぎ!」と母に叱られる程に食欲も戻りました。
更に、あれだけ好きで飲んでいたお酒さえも、欲しくないと云います。

此処まで回復する事が出来たのも、母の努力と苦労はもとより、何と言っても、叔父と叔母が来てくれた事に有ります。
もしあの時、叔母が来ていなかったら・・・そして、叔父が飛んで来てくれていなかったら・・・。
今の元気な父があるのは、叔父と叔母のお陰だと思っています。
私達家族だけでは出来なかった事(入院の説得)を叔父と叔母が後押ししてくれたからこそ、父は元気になって帰ってこられたのです。
また、入院時は鹿児島空港まで迎えに来てくれたり(行き違いがあって会えなかったそうですが^^;)、度々様子を見に病院迄お見舞いに来て下さったり、退院後も何かと気を掛けて下さったりと、本当に感謝の気持ちで頭が下がります。


ドラマ「溺れる人」の中で室井滋さん演じる主治医が云っていたように、アルコール依存症とは「一生を掛けても治らない」病気です。何年断酒しようが、たった1杯、いや一口飲んだだけで、あっという間に元に戻ってしまうのです。
だからこそ、本人の自覚と強い意志はもちろんの事、患者を見守る家族も一緒に闘っていかなければいけないと思うのです。
「一生」ですよ。「一生」

今では「お父ちゃんは、今までに一生分以上のお酒を飲んできたんやから、もう要らんわな。上等やんな。お父ちゃんが死んでも、お墓にお酒なんか置かへんからな。あの世でも禁酒やで」等と笑いながら話せるようになりました。

私も父に似て「楽しく」「美味しく」お酒を飲みます。
今回のドラマを観ながら、我が事のように感じたのも正直な思いです。
ただ、幸い(?)な事に、私は沢山は飲めませんので、恐らく一歩手前のところで「アルコール依存症」にならずに済んでいるのではないかと思います。
父を見てきました。
その父を見守る母も見てきました。
アルコール依存症患者の話も沢山伝え聞く機会にも恵まれています。
これらの事を反面教師として、自己を律していきたいと思います。


随分長くなってしまいましたが、最後に一言。
「アルコール依存症」は特別な病気ではありません。飲酒する全ての人に可能性のある病気です。
どうか、お酒は「美味しく」「楽しく」「ほどほどに」飲みましょう。ね☆

拙い文章を最後まで読んで下さった皆さんに感謝致します。
少しでも「アルコール依存症」に対する理解を得られましたら幸甚に存じます。
有り難うございました。


「医療法人全隆会 指宿竹元病院」父が入院していた病院です
「社団法人 全日本断酒連盟」現在、父が参加している断酒会の本部です
2005年3月8日
アルコール依存症C
ドタバタの入院から3ヶ月・・・。仮退院の日になりました。
これは、社会復帰に向けてのテスト。合格すれば退院です。
しかし、父は更に3ヶ月の入院生活を送る事になったのです。
何故か!?

その日は母が指宿まで迎えに行きました。
母も不安だった事でしょう。迎えに行く日までに、家中の酒という酒、全てを処分し、買い物等で留守にする間にこっそり(酒を)買いに行かれては大変!と、小銭も隠し^^;
万全の態勢(?)を整えて迎えに行ったのですが・・・。

鹿児島空港で昼食を取る為、レストランに入ったところで父が一言、
「なぁ、1杯だけ。な」
ぶ〜〜〜っ!

そうです、この一言で更に3ヶ月の入院が決まったのです。
父は、冗談やんか、云ってみただけやん、と云いますが、母にとっては衝撃の一言だったようです。
その夜、会社帰りに実家に寄ると、母が泣きそうな顔をしながら私に云うのです。
「お父ちゃんなぁ、今日、空港で『酒飲みたい』云うねんで。もう、がっくりきたわ。3ヶ月も入院してて・・・何でそんな事云うんかなぁ。あれだけしんどい思いしてて、まだ懲りてへんねやわ。一口でも飲んだら元通りや云うのに。冗談にしろ、口に出すって事は、未だ自分の事解ってへんのやわ。もう、情けないやら、呆れるやら・・・」
母の気持ちはよ〜〜〜っく解ります。
父はと云えば、ちょっとは反省したのか、小さくなっていました(苦笑)。

今回は2泊3日。指宿に戻るときも母が同行し、病院で洗いざらい話したそうです。勿論、父の為に。完全に酒断ちするその日まで。


それから3ヶ月。
父は自宅でお正月を迎えられる事になりました♪
2005年3月7日
アルコール依存症B
父のアルコール依存症との闘いが始まりました。
6〜8人一部屋(病室)の共同生活です。
看護士さんの話では、入院当初は部屋で騒ぐ為、転室を繰り返したそうです。何をどういう風に騒いでいたのか迄は聞きませんでしたが、大体の想像はつきます^^;
落ち着いてからは、庭掃除、食事の配膳等、当番制になっている仕事をこなしていたそうです。
治療の方は、先ずは何より、体内のアルコールを完全に消し去る事。と同時に肝臓肥大、肝炎の治療。肝臓肥大とコルサコフ症(記憶障害・言語障害・神経症)はアルコールさえ抜ければ快方に向かうと云われていました。
そして、更に落ち着いてきた頃に、「自分と向き合う」という事を治療の一環として行ったそうです。
自分の事、家族の事、今までの自分の境遇や想い等をノートに書き出す。時には、個室でまるで瞑想でもするかのように自分を見つめ直し、自分と向き合ったりしたそうです。これを「内観」と云うそうです。
退院後、この時のノートを見せて貰いましたが、何を書いているのか殆ど読めませんでした。読めないと云うよりは、読解出来ないと云うべきか!?恐らく、思い出し思い出ししながら、一生懸命書いたのでしょう。そのノートを見ただけでも当時の父の様子が解ります。

夏になり、父が入院生活に慣れた頃、症状が快方に向かい始めた頃に、私も一度見舞いに行きました。もちろん、母は毎月一度は病院へ足を運んでいましたが、私も一度は父の入院生活と現状を見ておきたかったのです。
顔色も良くなり、少しふっくらしたかな?話し声も小さくなり、静かに話すようになっていました。
うん。思ったより元気そう。
2005年3月6日
アルコール依存症A
そうして父の入院への承諾は取り付けたものの、今度は、実際にいつ入院させるのか、どこの病院が良いのか・・・。
なんて心配は無用でした。
「いつ」等と悠長な事は云っていられない状態でしたし、病院も叔父・叔母達の勧める鹿児島・指宿の指宿竹元病院と決めていました。
同郷人(鹿児島県人・喜界島島民)も居るし、やはり直ぐには帰る事の出来ない遠方の方が良いだろう、との判断からです。
外来診察の予約だけを取り、当面の身の回り品だけを持って、5月のある晴れた日に父は指宿へと行きました。

私は付き添えなかったのですが、同行した母と兄の話では、伊丹空港へ行くまでも、飛行機に乗るまでも大変だったそうです。

話は戻りますが・・・
これより半年程前から、父の体調が思わしくなくなったのです。
常にお腹を通している(下痢)。しかもトイレまで我慢出来ない。食事は普通に焚いたごはんさえ固いと言って食べないので、お粥。手の震えは勿論、言葉に詰まる(言語障害)、記憶が途切れ途切れ(記憶障害)等々。果ては、起床時に声が出ない、立ち上がれない。
このような自覚(?)症状が出ているにも拘わらず、父は断固として病院へ行く事を拒み続けていたのです。
行きたがらない父に対し、飲酒量(1日で焼酎一升強)を制限(八分目)してみたりもしましたが、我慢が出来ず結局飲んでしまう。しかも悪い事に自宅の2階にある仕事場へこっそり持ち込んで飲んでいる(- -;)
「飲むのん控えたら、車検受けさせたる」(丁度車検の年でした)
と母が云っても何のその。ふぅ。
流石に得意先回りをする日(週2回)は車を運転する為、飲酒は控えていましたが、帰り道にはどうやら少し飲んでいたらしい・・・。
ある時、遂に事故を起こしてしまいました。
自損事故(中央分離帯のブロックにぶっつかったらしい)でしたし、幸い怪我もなく、車を傷つけた程度で済んだから良かった(?)ものの・・・(- -;)

こうした事があり、母は大層気疲れしていたようです。
私が休日、実家へ行く度に「お父ちゃんなぁ」「お父ちゃんなぁ」と愚痴(?)を零していました。
母が云っても、私が云っても、兄が云っても、叔母が云っても「う〜ん」と気乗りしない返事しかしなかったのですが、流石に叔父に云われた時は堪えたのでしょう。しょんぼりしながら、大人しくなっちゃってました(苦笑)。

指宿へ発つ前に、得意先からの仕事は全て返却し、仕事道具も殆ど全て処分しました。もう戻ってきても仕事は無理だろうとの判断からでした。返却には兄が仕事を休んで付いていきました(廃業の説明と運転の為)。
そうして・・・指宿へと旅立つ日・・・。
母と兄が指宿まで同行しました。父はと言えば、真っ直ぐに歩く事もままならず、兄に支えられながらだったそうです。そして、空港に着くと直ぐに酒を欲しがったそうです。「飲んだら一人で歩けるわ」とでも云っていたのでしょう。

病院に着くと直ぐに院長先生が診察して下さったそうです・・・。
そしてエコー(超音波検査)をするまでもなく、服を脱いで診察台に上がっただけで「肝臓肥大」と云われたそうです。私達には単にお腹が出ているだけとしか見えなかったのですが、明らかに肝臓がポッコリ出ていると云われたそうです。そして、血液検査、エコー、レントゲン、CTスキャン。
即入院決定!!
そして、母の月に一度の指宿通いが始まったのです。


退院後、父曰く、
「入院した経緯は何となく覚えているけど、気が付いてみたら、何でオレここにおるんや?検査なんかいつの間にしたんや?って感じやったからなぁ^^;」
だ・か・ら!!それがアルコール依存症の症状やってんってぇ(苦笑)。
2005年3月5日
Arryの変化
この冬、Arryに大変化が有りました。

少し前から、私の帰宅時、それまでは暫く隠れて出てこなかったArryが部屋の奥から玄関口を伺うようになり、今年1月頃からは部屋の手前まで出てきて、しっぽをピンと立てて私を迎えてくれるようになったのです。
私が靴を脱ぎながら声を掛け、手招きをすると「うにゃ〜」と啼きながら側まで来るようになったのです。
あの、超がつく程びびりーのArryが!

そしてもう一つ。
今ではくつろぎ&来客時の避難スペースと化している猫用ケージ。
Arryが夜中に運動会をするので昨年の夏まではArryの寝床でもあったのです。(ケージの扉を閉めていた)
秋頃から、ケージの中では寒かろう(ベランダの窓際に設置していますので)と思い、Arryを部屋に放したまま夜を過ごすようになりました。
当初心配していた「夜中の運動会」もなく、お気に入りの場所(座椅子の上か、畳んだコタツ布団の上)で眠っているようでした。
そして真冬になり、夜の冷え込みが厳しくなると・・・
何と!私の寝ているお布団に入ってくるようになったのです♪

いつもTOMMYが私の腕枕で(!)私と一緒に寝ていたのですが、Kerryはどんなに寒くても決して一緒に寝ようとはしないし(涙)、Arryはお昼寝以外では一緒に寝た事は無かったのです。
それが・・・お布団の温もりを感じたのでしょうか、私がお布団に入り、TOMMYもいつものように入ってくると、Arryが枕元にやって来て「うにゃ〜」と一啼き。
そして、私を突っつき、掛け布団を引っ掻いて「あたしも入れて〜」と云わんばかりのアピール(笑)。
中に入れてあげると、私の横、TOMMYの下、要するに奥の方に潜って行き、ゴロンと横になります。
しかも「ごろごろ」と喉を鳴らしながら^^

私は幸せです。
こうして、少しずつではあるけれども、Arryとの絆が深まっていくのを実感出来て。

ネコ達に「甘えられる瞬間」が一番「飼い主冥利に尽きる瞬間」でしょうね♪
そして今日(今夜)もまた親バカな私になるのです(爆)。
2005年3月1日
アルコール依存症@
日本テレビ系列で放送されたドラマ「溺れる人」を見ました。
「アルコール依存症」の女性を描いたドラマ(ノンフィクション?)でした。

私の父は正しくこの「アルコール依存症」。
5〜6年前に、遠く鹿児島・指宿の専門病院に入院していました。
期間は6ヶ月。

父は「楽しく」「美味しく」いわゆる「明るい酒」を呑む人でした。
「暴力を振るう」といった「暴れる酒」とは全く無縁でしたので、「まさか父が・・・」という思いも正直有りました。
そりゃあ、呑む量は年々増えていましたし、夜の晩酌はもちろん、朝、仕事中、時間に関係なく呑むようになっていたので、「おかしいぞ」「アブナイんやないのん」とは危惧していましたが・・・。

ある時、父・母・私の3人で温泉に行く事になり、最初は父が車を運転していました。
ところが、この運転が危なっかしい。
ふらつくし、ブレーキの反応もなんだか遅い。
昼食に入ったレストランで、よく見ると父の手が震えているじゃないですか!

私「お父ちゃん、手ぇ震えてるやん」
母「そうやろう?最近こんなんやねんでぇ」
父「呑んだら止まんねんから」
呑んだらって・・・おいおい・・・。

あまりに辛そう(震えが)なので、
「ほな、呑んだらええやん。うちが運転するから」
「うん。ほな、そないしょうか」
本当に震えが止まったのです!
母から話には聞いていたけど、半信半疑だった私はこの時点で認めました。

この後、たまたま来阪した叔母(父の妹)が父を見て、母の話を聞いて入院するよう説得を始めるも、父は全く認めようとはせず、叔母が帰郷し話を聞いた叔父(父の弟)も来阪し、説得をしてくれてようやく父もしぶしぶながら「うん」と云ったのです。
もちろん、ずっと以前より、母は説得しようとしていたし、私も旅行の後は入院を勧めてはいたのですが、父は全く意に介さず、途方に暮れていたのです。
そんな時、タイミング良く叔母が来阪し、叔父もわざわざ来阪してくれたのです。

叔父「なぁ、兄貴。そんなんやったらアカンで。兄貴な、これは病気なんやから、ちゃんと入院して治さな」
父「オレは病気とちゃうで。な。呑んでるとな、楽しいねん。嬉しいねん。呑んだら手ぇも震えへんし」
叔父「だから、それがアル中や云うてるんや!このままやったらアカン。兄貴は良くても義姉さんが大変や。ワシも何人か知ってる。確かに兄貴は暴れへんけどな、兄貴、自分の顔色知ってるか?面変わり(顔が痩せていた)してるのん分かってるか?」
父「・・・」
叔父「こうしてな、みんな兄貴の事心配しとるんや。ちゃんと入院せなアカン!分かってるやろ?」
父「・・・うん」
叔父「よし。ほな、入院するんやな?」
父「・・・いややなぁ。オレ病院嫌いや・・・」
その場にいた全員「んな事云うてる場合やないやろが!!」

みんなに責められ(?)しぶしぶ承諾した父でした^^;



実は、父に関するこの話は、長〜くなるので、書く事を封印していたのですが、今夜、ドラマ「溺れる人」を観てようやく封印を解く決心がつきました。
5〜6年前の話ですし、印象は強く残っているのですが、記憶は朧気ですので、途中フィクションが混ざってしまうかもしれませんがご容赦下さい(苦笑)。
本当に長くなりますので(既に長い!?)、何回かに分けて、つらつらと思い出しながら書いていきます。
どうか、お付合い下さいませね♪

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