今より300年程前、江戸元禄時代の頃、吸収は豊後の天領(現大分県日田市)の地で茶屋(満留喜屋)を営む老主人がいました。
毎日行きかう旅人に美味しい甘酒と麦湯を出しては皆から喜ばれ、天領の里の名物茶屋として九州、中国はもとより遠く上方にまでその名は知れ渡っていました。
ある時、地震が起き、甘酒の中に煎り麦が落ちた事にも気づかず、主人は村々の復旧の手助けに大忙しの日々を送っていました。やっと一段落し、自分の店のかたづけでもと思った時、どこからともなく華やかな香りが漂ってきました。よく探してみると割れずに残った甘酒の壺からその香りは漂って来るではありませんか。主人は指を浸しその汁を利いてみました。
「うーん、これは、だりやみ(晩酌のことで疲れをいやす意味)にいい。」
そう思い毎日楽しみにしていましたが、どうも4〜5日経つと良い香りも味もおかしくなりました。何とかあの華やかで美味しい味を保存する方法はないかと考えた末、当時行われていた粕取焼酎をまね蒸留したのが、この天領の地における麦焼酎の始まりといわれています。
その主人の子供(弥八)は、この焼酎を改良し、より美味しいものに仕上げました。すると、代官様より「麹屋」の店名をもらい、また「甘酒、麦湯だけでなく美味なる焼酎をそののちまで伝えよ。」という意味でその名も「伝兵衛」をあたえられ、ここに『麹屋伝兵衛』なる人物が出来上がったと云うことです。
しばし時を忘れ、華やかなる香りと、ふくよかな味を楽しんで戴き、その昔の風情にひたるのも一興かと存じます。
これが、瓶(ボトル)に巻かれていた紙。
右側に書かれている文は、上の「しおり」に書かれていた文と同じです。